佐藤琢磨がFE参戦!自転車からF1インディカーへ!経歴やセナへの憧れも!

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元F1ドライバーとして活躍したので有名な佐藤琢磨さん

2010年からはアメリカで主催されているインディカー・シリーズに参戦していました。

しかし、化石燃料を使わず、電気で走るフォーミュラーカーのレース「フォーミュラーE」で参戦することが決定しました(^▽^)

そんな佐藤琢磨さんのことに関して、今回調べてみました✩

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佐藤琢磨のプロフィールは東京都生まれの愛称「Taku」

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生年月日:1977年1月28日

年齢:37歳(2014年9月現在)

出身地:東京都新宿区

血液型:RH+A型

身長:164cm

所属:アムリン・アグリ・フォーミュラEチーム

愛称:Taku

佐藤琢磨の経歴は自転車競技者からF1の世界へ

父親は弁護士、母親は舞台女優という一見裕福そうな家庭に生まれた佐藤琢磨さん。

10歳の頃に鈴鹿サーキットでF1を観戦してからF1の世界に強い憧れを持ったそうです✩

憧れを抱きつつも自転車競技の世界へ

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しかし、憧れは抱きつつも自動車競技ができないため、高校時代には自転車競技を始めたそうです。

私立和光学園高等学校に進学した頃、高校に自転車競技の部がなかったため、自身で部を立ち上げ、顧問一人部員一人で競技を開始します。

94年インターハイ優勝、95年インターカレッジ2位、95年国体6位、96年全日本学生選手権優勝などの記録を残しています。

部がないから部を作ったのも凄いですが、そんな環境でこれほどの成績を残すとは素晴らしい能力ですね!!通常では考えられません……( ̄▽ ̄;)

その後、早稲田大学人間科学部に進学します。

SRS-Fの設立を期にモータースポーツの世界へ

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転機となったのは96年。

ホンダと鈴鹿サーキットがフォーミュラーカーを用いいたレーシングスクール

「鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ」(SRS-F)

を設立させたのを知ります。

その報にモータースポーツの世界へ飛び込むことを決心し、早稲田大学を休学(その後中退)

当初はカートを始め、モータースポーツ歴半年しか立っていないのに、選抜方法を変えてまでしてSRS-Fに入学します。

その成績は講師陣を上回るほどの速さを見せて1997年に同校を主席で卒業しました。

主席で卒業したあと、1998年は無限X童夢プロジェクトから全日本F3選手権へデビューを果たします。

しかし、2戦参加後、シーズン半ばで渡英することになります。

渡英理由としては、佐藤琢磨さんが日本で免許取り消し処分を受けたため、日本自動車連盟(JAF)の管轄下のレースに出走することができず、レース活動をするためには海外へ飛ぶ必要があったからだということです(^^;)

渡英後、F3の各下のジュニア・フォーミュラである「フォーミュラ・ボクスホールJr.」にダイヤモンド・レーシングから参戦し、2000年と2001年にカーリン・モータースポーツよりイギリスF3選手意見にフル参戦しました。

参戦当初は結果が振るいませんでしたが、2000年後半から持ち返し、イギリスF3でシリーズ3位、2001年には日本人発のイギリスF3チャンピオンを獲得し、国際F3レースも制してF3ドライバーとして世界の頂点を極めました。

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憧れの世界 フォーミュラー1へ

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2002年からはジョーダン・グランプリからF1に参戦し史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーになったが、ジョーダン・グランプリの資金難からテスト走行もままならず、成績も振るわなかった。

2003年にはB・A・Rにテストドライバーとして移籍し、前線を帯同していた。

その年の最終戦日本GPでレギュラードライバーのモチベーションダウンのため、急遽代役で出走すると6位に入賞することになる。

2004年からはレギュラードライバーに昇格し善戦。

2005年にはモナコへ移住したが、この年は病気やレギュレーション違反で2戦出場停止など、前半戦はほとんどレースができなかった。
後半戦も調子が伸びず、ドライバーズポイントは1ポイントだったため、B・A・Rのレギュラードライバーの座を失います。

2006年からは元F1ドライバーの鈴木亜久里がオーナーの「スーパーアグリF1」から新規参戦するが結果は振るわなかった。

2008年にスーパーアグリF1がF1から撤退するため所属チームを失うことになります。

当時は多くのオファーを受けるも、F1参戦に獲得するために交渉を続けていました。

新たな舞台「インディカー・シリーズ」へ

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2010年にはKVレーシングからインディカー・シリーズに参戦することが決定し、9月のツインリンクもてぎで行われたインディジャパン300で12位で完走を果たします。

2012年にはレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍し、第四戦でインディカーで表彰台にあがり、2013年にはA.J.フォイト・エンタープライズから参戦し、第三戦で日本人として初の優勝を果たしました。

競輪選手からF1へ凄い変貌ですし、インディカー・シリーズで日本人初の優勝とは素晴らしいですね✩

佐藤琢磨はアイルトン・セナに憧れてF1の世界へ

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10歳の頃に鈴鹿サーキットの最終コーナーで初めてF1を観戦し、アイルトン・セナの予選7位から2位でフィニッシュを飾る姿を見て、F1の世界に強い憧れを持ったそうです(^^)

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当時のことを佐藤琢磨さんはドキュメンタリー映画「アイルトン・セナ ~音速の彼方へ」のジャパンプレミアムでこのように話しています。

87年の鈴鹿サーキット、僕は当時10歳で初めてのサーキット、初めてのF1観戦をした。

場所は最終コーナーだった。

キャメルカラーのロータス・ホンダに乗ったセナを応援していたんだけど、当時はセナのチームメイトの中嶋悟さんなど注目のドライバーがたくさんいた。

でも、最終コーナーに入るごとに順位を上げてくるセナの圧倒的な走りを目の当たりにしてセナしか目に入らなかった。

あの時、重低音のターボエンジン音、金属音を耳ではなく全身で感じた。

あの2時間で僕はすっかりセナの虜になったし、あの日の彼の走りが、いまでもずっと焼き付いている。

と、当時の印象を熱く語っていたそうです(^^)

夢を叶えるとは凄いですね✩

そんな佐藤琢磨さんは古巣の鈴木亜久里氏がエグゼクティブ・チェアマンを務めるアムリン・アグリ・フォーミュラEチームからフォームラーEへ参戦します。

フォームラーEでの佐藤琢磨さんの活躍に注目ですね!!

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